ひとりごと

小さい頃、マラソン大会は万年ビリだった。
自分は速く走れない。そんなこと百も承知で
苦しいし、足は重いし、何でこんな思いしなくちゃならない?と思ってた。


だから、今でも走るのは苦手。昨今のジョギングブームは耳を塞ぐ。


もとい。でも図らずもワタシは自転車に乗るようになる。
そして図らずも、富士一周120kmやら、ホノルル100マイルやら走るようになる。
でもやっぱり速く走るのは苦手。誰とも比べたくないし、比べられたくもない。
誰かと競うなんて、もってのほか。ワタシはワタシのために走る。楽しむため。


今までそう思って走ってきた。遅くたって構わない。


最近、ちょっとした心境の変化があり。
「もっと楽しむために速くなりたい」という価値観も芽生え始めていて。
ホノルルの後あたりからかな?自分は相当遅いんだ、と気づき始めてから。
サイコンの低めのアベレージ、登りでの手押し、下りや混雑時での恐怖感。
どうにかならないもんか?と思いはじめてきていた。


でもまた今揺れています。
「本当に速くなりたいのか?」
別に、ホノルル以前も十分自転車を満喫していたし、チャリ旅も楽しめてた。
サイコンだってSPDだって要らなかった。
そんな付属品が増えて、付属の情報や知識も増えて、頭でっかちになって。
だけど、「一緒に走ろう」と言ってくれるヒトが
ひたすらゆっくりノンビリ走ってワタシに合わせてくれている速度が
ワタシが必死で頑張って苦しんで走る速度より速いんです。
これはお互いにとって不幸だ。と思いませんか?
だってお互い楽しみたいと思って走ってるのに、お互い無理してるんです。
抑えてるんです。お互いの本音を抑えながら走ってるんです。


付属品を捨てて、知識も捨てて、自由になりたい。
自由になってゆっくりのんびり何も、何にも考えずに走りたい。
登りだったら手押しでも、怖かったら降りても、輪行でもいいじゃない。
そうすることが逃げ道なの?何がいけないの?どうして後ろ向きっていえるの?


そう思う自分もいるんです。


何が正しくて、何が間違ってるのか。よく分からないんです。
ただ分かることはひとつ。抑え続けたら、いつかは破綻するってこと。